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富士宮市を拠点に、グラフィックやWebデザインなど、多彩なクリエイティブを手がける「デザインスピカ」代表の若林亜矢さん。
実は、ハハラッチの立ち上げに深く関わったメンバーの一人でもあります。
その柔らかな雰囲気とは裏腹に、若林さんの歩みは「就職氷河期」という厳しい時代から始まり、出産、独立、そして病気という幾多の転機を、持ち前のしなやかさで乗り越えてきた力強い道のりそのものです。
在宅ワークがまだ一般的ではなかった当時。
「『もしかして、家でも仕事ができるのでは?』と、ふと思ったんです」
そう穏やかに語る若林さん。そのささやかな気づきを原点に、若林さんはどんな道を歩んできたのでしょうか。
これまでの歩みと、未来への展望を伺いました。
グラフィックからWebまで手掛けるママデザイナー
現在、若林さんはグラフィックデザインとWebデザインをメインに活動されています。
チラシやリーフレットといった紙媒体の制作から、ロゴ、ホームページの制作まで、その領域は多岐にわたります。
「地方だと、『何かひとつだけお願いしたい』という方は少ないんです。
『これができるなら、あれもお願いできませんか』となることが多いので、色々と幅広く手掛けています」
特に、手書きの温かみを感じさせる優しいタッチのイラストは、若林さんの作品の大きな魅力の一つ。見る人の心をふっと和ませてくれます。

デザイン制作の仕事に加えて、コロナ禍の前はデザイン講座やイベントの開催なども手がけていました。
未経験からデザイナーの道へ

意外にも、若林さんは大学でデザインを専門に学んだわけではありません。
デザインを学び始めたのは、就職氷河期の真っ只中、「何かスキルを身につけておこう」と考えたのがきっかけでした。
「アルバイトで貯めたお金でMacを買い、デザインソフトを教えてくれるパソコンスクールに通いました。
卒業後はなんとか富士市の広告代理店に就職できたのですが、周りはデザインを専門に学んだ実務経験豊富な先輩ばかり。ソフトは使えるけれど、デザインの知識はゼロ。本当に大変でしたね」
新聞の折り込みチラシが全盛の時代。一枚のチラシに複数の会社が載るような広告で、まずは小さな枠の中をデザインする仕事からスタートしました。
「最初は文字と写真を並べるだけで精一杯。でも、先輩から『プロから見たらこれはダメなんだよ』と、厳しいながらも的確なフィードバックを毎日もらえたんです。
練習ではなく、いきなり本番。あの時の経験が、私のデザイナーとしての基礎を育ててくれました」
我が子の成長をそばで見守りたい

その後、結婚・出産を経て、派遣社員として働きながらさらにキャリアを重ねていきました。そんな中、大きなライフイベントが訪れます。
「当初は産休・育休を取って、1年で会社に戻る気満々でした。
でも、生まれてきた我が子と毎日一緒に過ごすうちに、『この子が初めて歩く瞬間を、保育士さんから聞くのは嫌だな』って。
このかけがえのない時間を見逃したくない、という気持ちが日に日に強くなっていったんです」
折しも、保育園の入園選考に落ちてしまったことも重なり、若林さんは会社への復帰を断念します。
そんな中、子育ての合間に参加していた『母力向上委員会』の活動で、様々な立場のママたちと出会い、「会社に勤めるだけが仕事じゃない」ということに気が付きます。
手探りで始めた「在宅ワーク」

子育てに奔走しつつも、以前勤めていた会社やママ友との繋がりを通して、少しずつイラストやデザインの仕事を頼まれるようになった若林さん。
「在宅ワーク」は今でこそ珍しくありませんが、当時はまだ一般的な働き方としてそこまで知られていませんでした。
しかし、「『あれ?もしかして、家でもデザインの仕事ができるのでは?』と、思い始めたんです」と若林さんは語ります。
ご主人にも協力してもらって仕事を受けつつ、娘さんの成長を見守る日々。そんな中、娘さんが2歳を過ぎた頃、若林さんの心境に変化が訪れます。
「一番そばで見たかった成長の過程は、だいたい見届けることができたな、と満足感が湧いてきたんです。
そうしたら今度は、やっぱりもう一度しっかりと仕事がしたい、という気持ちが強くなってきて。
でも、いざ本格的に事業を始めるとなると、どうすればいいのか。当時は今のように情報もなくて、本当に手探りでした」
そして2013年の春、約1年ほどの準備期間を経て、娘さんの保育園入園とともに本格的に事業をスタート。
「デザインスピカ」として、新たな一歩を踏み出しました。
病気が教えてくれた、自分を大切にする働き方

独立後は、がむしゃらに仕事に打ち込む日々。しかし、その無理がたたり、体に異変が起きます。子宮筋腫による深刻な貧血でした。
「娘が小学校に上がって、歩いて送り迎えをしていたんですけど、息切れがひどくて。
調子悪いなぁと思って病院に行ったら、『貧血の数値が大変なことになっています』と。
結局、2017年頃に手術をすることになりました」
この経験は、若林さんの仕事観を大きく変えるきっかけとなります。
「フリーランスは、自分が倒れたらすべてが止まってしまう。仕事量を自分でしっかりコントロールしないとダメなんだと痛感しました。
それまでは、『仕事を受けなきゃ』と常に全力疾走でしたが、これを機に、水道の蛇口を少し絞るように、仕事の量を調整することを覚えました」
しなやかに変化する——「私らしい働き方」を目指して

自分と家族を守るためにも、無理のない働き方にシフトした若林さん。
その後のコロナ禍を経て、若林さんの仕事環境も変化していったと言います。
「対面での打ち合わせが減り、オンラインが当たり前になったことで、場所に縛られずに仕事ができるようになりました。
今では県外のお客様とのお仕事も多いんですよ」
また、働き方が変わるとともに、仕事への価値観も変化していきました。
「最近やりがいを感じるのは、ただ目先の利益を追うのではなく、会社の未来や、その先にいるお客様、ひいては自分たちの子供や孫の世代まで見据えているような、ビジョンを持ったお客様とのお仕事です。
そういう方々と一緒に未来をデザインしていく過程が、とても楽しいんです」
プレイヤーとして最前線で手を動かすだけでなく、今後はこれまでの経験を活かして、若手のデザイナーを育てるような役割も担っていきたい――若林さんは、自身の未来をそう見据えています。
これから一歩を踏み出すママたちへ
最後に、かつての自分と同じように、子育てをしながら一歩を踏み出そうとしているママたちへ、メッセージをいただきました。
「今は、私たちが子育てを始めた頃とは比べ物にならないくらい、在宅で働ける環境が整っています。スマホ一つで情報を集められるし、クラウドソーシングのようなサービスもたくさんある」
「ただ、その分、情報が溢れすぎていて、『デザイナーに2ヶ月でなれる』といった甘い言葉や、詐欺まがいの情報も増えているのが現実です。
大切なのは、信頼できる情報源を見極めること。その上で、自分が『楽しい』と思えることや、自分のペースでできそうなことを見つけて、一歩ずつ進んでいってほしいなと思います」
常に自分と家族にとっての最善を探し、しなやかに、そして力強く歩み続ける姿に、大きな勇気をもらいました。
デザインスピカのホームページでは、若林さんの起業までの物語が漫画で紹介されています。気になる方はぜひご覧ください!